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公益財団法人 NEC C&C財団

 

2011年度C&C賞受賞者

Group B

ノーマン アブラムソン 教授

ノーマン アブラムソン 教授
Prof. Norman Abramson

Professor Emeritus, University of Hawaii

ロバート M メトカルフェ 博士

ロバート M メトカルフェ 博士
Dr. Robert M. Metcalfe

Professor of innovation, The University of Texas at Austin


業績記

「アロハネットからイーサネットに至るインターネットパケットアクセスシステムの発明、標準化および実用化に関する指導的貢献」

業績記補足

イーサネット(Ethernet)は、世界で最も広く使用されているLANの標準で、1980年代に実用化されて以来、IT技術分野の進展に多大な影響を与えてきました。 現在でもWiFi等の無線系を含めると、毎年、数十億ポートが出荷されています。 アブラムソン(Abramson)教授とメトカルフェ(Metcalfe)博士は、アロハネット(ALOHANET)からEthernetに至るLANの開発を主導し、インターネットパケットアクセスというシステムの領域を開拓しました。

スタンフォード大学で教鞭をとっていたAbramson教授は、1968年よりハワイ大学に移籍し、そこで、ハワイ諸島の間を無線で接続するデータ通信方式(ALOHANET)の開発を主導しました。ALOHANETは複数のコンピュータが通信するための多重化方式として、周波数多重や時分割多重ではない新たな方式を採用しました。 その方式は、メッセージデータをパケットに分割し、複数のコンピュータが一つの無線帯域を共有して使えるように、少し時間間隔を空けてパケットを送信する方式です。 この方式では、複数のコンピュータが同時にパケットを送信すると衝突が起きてしまいます。そこで、パケットを送信した後、送信ノードは中央のハブがそのメッセージに対するACK(Acknowledgement packet)を送り返すのを待ち受け、ACKが戻ってきてから、次のパケットを送信する、という手順で通信を行います。 ACKが戻ってこない場合やデータが壊れていた場合は、短時間ランダムに待ってから元のデータを再送するようにします。このような衝突回避方式を含むシンプルな無線共用方式は、後のCSMA (Carrier Sense Multiple Access)の基になりました。 ALOHANETは、ハワイ諸島の島々を9600b/sで接続し、1970年末には、世界初の無線パケット交換ネットワークとして実用に供されました。その後、1972年にALOHANETは米国本土のARPANETと56Kb/sの衛星チャンネルで接続、また、1973年には、NASAのATS-1衛星のチャンネルを使い、ハワイ大学、NASA Ames研、アラスカ大学、東北大学、電通大、シドニー大学の間で実験ネットワークを構築しました。このネットワークはPacNetと呼ばれ、衛星を介して多数の小地上局との通信の可能性を実証しました。これらの実験以降、急激にネットワーク間接続が広まり、その後のInternet発展の源流となっています。

ALOHAプロトコルはデータリンク層(OSIネットワークレイヤの第2層)のプロトコルです。有線で繋がった二点間の通信から構成されるARPANETとは異なり、ALOHAは同じ無線周波数(共有媒体)で全ノードが通信を行うバス型ネットワークと言えます。極めてシンプルで経済的なネットワークですが、トラフィックが増加するとパケット衝突のため転送速度が低下します。 このため最大スループットは約18%であるという欠点はありましたが、Abramson教授の開発したALOHANETのCSMA方式はのちにMetcalfeによるLANのCSMA/CD(Collision Detection)方式に発展してIEEE標準となり、現在のInternetとLANの発展の基礎を築きました。

Robert Metcalfeは、ハーバード大学の博士課程在籍中の1972年からXeroxのPalo Alto研究所(PARC)の研究員として働いており、1973年にかけて同軸ケーブルによるLANであるEthernetの開発チームのリーダとして開発を推進しました。当時のPARCではパソコンのオリジンであるAltoの開発が進められており、Alto複数台をレーザービームプリンタに接続する技術の開発が行われていました。そのリーダであったMetcalfeはALOHA方式を原点としたバス型のネットワークを開発し、1973年に特許登録がなされました。このネットワークは、当初、Alto ALOHANETと呼ばれていたもので、信号のキャリア波を見て衝突を検知するCSMA/CD方式への改良により、同軸ケーブルでメガビットクラスの高速伝送を実現しました。そして、1976年には、同僚のボッグス(David Boggs)氏と共著で、「イーサネット:ローカル・コンピュータ・ネットワークにおける分散型パケット交換」と題した論文によってEthernetを発表しました。これが一般にEthernetの誕生と考えられています。

Metcalfeの働きかけもあり、Xeroxはその後特許を開放して、インテル、DECと3社共同で10MbpsのEthernetの開発に取り組み、1980年にIEEE Ethernet 1.0の規格として公開しました。このオープンな規格の策定に多くの企業が参画し、IBM(トークンリング)やApple(ローカルトーク)などの方式を退けてLANの標準規格として定着しました。1982年にEthernet2.0規格をベースにしたIEEE 802.3 CSMA/CD方式がMetcalfe博士らによって策定され、10Mbpsの10BASE-Tとして、以降LANの基本方式となります。

Ethernetは100Mbps、1Gbps、10Gbpsと発展し、現在100Gbpsの100GbEの標準化へと至っています。Etherはかって光を伝達する媒質と考えられたエーテルから名づけられたということですが、ITの発展にLANの果たした役割りは極めて大きく、その開発を先導し、IT産業の振興や人々の生活向上への礎を築いたAbramson 、Metcalfe両博士の貢献はC&C賞に相応しい業績と考えます。