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公益財団法人 NEC C&C財団

 

2018年度C&C賞受賞者

Group A

西森 秀稔 教授

西森 秀稔 教授
Prof. Hidetoshi Nishimori

東京工業大学 教授
東北大学 教授


業績記

量子アニーリングの提唱と、同概念に基づく計算機創出の基礎となったランダムスピン系の研究に関する功績

業績説明

 量子コンピューティングは、量子力学的現象である重ね合わせや量子もつれ等を動作原理に用いた計算手法です。代表的な量子コンピューティング手法としては、量子アルゴリズムに基づき従来の論理ゲートに代わる量子ゲートで計算を実行する方式と、イジング模型等の統計力学上の物理モデルによって最適化問題を解く量子アニーリング方式が知られています。量子コンピューティングでは、量子ビットにおける重ね合わせ状態を利用して情報を扱うことにより超並列性ひいては高速性を実現できるとされており、その画期的な特徴を活かした計算力をもとに材料開発や組合せ最適化、さらには人工知能開発などへの応用が期待されています。 

西森秀稔教授は、量子アニーリングと呼ばれる自然界の物理現象を利用した独創的な方法によって、組合せ最適化問題などの困難な問題を高速に解くことのできる、量子計算モデルの提唱者として知られます。その後の画期的な計算機の開発につながるこの量子アニーリングの基礎理論の構築は、統計力学という異分野の研究の中から導き出されました。教授は、統計力学の中心的課題である空間的に非一様な系の代表例として知られるランダムスピン系に生じる現象に関する研究を長らく続け、 相図上で西森線と呼ばれる、厳密で解析可能な特別な領域を見出しました。この成果は当該分野での金字塔の一つと位置づけられています。この西森線は、現在では情報理論においても重要な役割を果たすことがわかっており、ランダムスピン系と西森線の特性を活かした誤り訂正符号の提案など、教授の情報理論分野での貢献にも顕著なものがあります。そうした研究の中で生まれたのが,1998年に指導学生の門脇正史氏と共同で発表した量子アニーリング(QA;Quantum Annealing)です。教授は、上向きと下向きの2つの状態を確率的に取る粒子が周囲の粒子とランダムな相互作用をする磁性体の数理モデルの研究を通じ、このような系の最小エネルギー状態を求める問題は情報科学分野で重要な組合せ最適化問題の一般形にもなっていることを見出しました。 

組合せ最適化問題は情報科学分野の中心的研究課題の一つですが、その汎用的な解法として統計力学手法をもとにしたシミュレーテッドアニーリング(SA: Simulated Annealing)が1980年代の古くから知られています。最小エネルギー問題を解く際に、SAでは熱ゆらぎを利用してある確率でエネルギーの高い中間状態を乗り越え、その先にあるより低いエネルギー状態を探索します。一方、西森教授が提唱したQAでは熱ゆらぎに代わり量子ゆらぎを導入し、そのトンネル効果によって極めて高速に、より低エネルギー状態に遷移させることを可能とします。この特徴を定性的に見れば、QAの方がより低エネルギー、すなわち最適解への到達可能性を高められるものと考えられます。さらに教授は,ランダムスピン系研究の代表的課題であるスピングラスの基底状態探索問題での知見をもとに、最適化問題をポテンシャルとみなし、量子力学的な遷移項すなわち量子ゆらぎの制御によって解を求めることに取り組みました。そして、解くべき系に作用させる量子ゆらぎの効果を非常に大きな状態から零に漸近させることで、系は最終的に最小エネルギー状態を示す統計力学上のモデルの安定状態に収束し、その収束した結果は組合せ最適化問題の解に相当するという量子アニーリング計算モデルの基本概念を導きました。その後、教授は網羅的な数値実験を行い、多くの最適化問題でQAがSAよりも優れていることを示しました。また教授はQAの収束性、すなわち最適解の発見を保証する収束定理を数学的に証明するなど、QAに対する数学的な基礎も与えています。以上の成果は世界的にも注目され、D-Wave Systems社によって2011年に実用化された世界初の商用量子計算機である量子アニーリングマシンの開発につながりました。特定の問題を極めて高速に解くことのできるこのマシンの発表を契機として、単なる組合せ最適化問題の解法にとどまらない新たなQAの応用展開も始まっています。例えば大量のデータ構造の解析が必要とされる機械学習や深層学習といった人工知能の分野の研究において、新たな高性能技術の開発のためにQAのもつ解の特徴と高速性を活かしたアプローチ手法が生み出されてきています。 

以上のように西森教授は、これまで計算時間上解くことが困難と考えられてきた複雑な組合せ最適化問題に関し、それを高速に解く可能性をもった量子コンピューティングの一手法であるQAを提唱しました。この革新的な成果が、特にランダムスピン系という情報科学の領域とは異なる分野の理論的研究の中から斬新な着想により生み出された点は特筆されます。近年、教授はIEEE Standards Association における量子コンピュータ用語の国際標準化グループや、米国政府機関IARPAが推進する高機能な量子アニーリング装置のプロトタイプ構築の国家プロジェクトQuantum Enhanced Optimizationへの参加を通じ、量子コンピューティング技術の開発や発展、さらには普及に向けた活動にも尽力しています。今日、量子アニーリングマシンが注目される背景には、その高速性のみならず超伝導量子ビットの採用による低電力性があるとも言われますが、益々複雑化する情報通信社会における課題の解決や持続的発展にとっても量子コンピューティングの果たす役割や期待は大きく、西森教授の功績を踏まえればC&C賞の受賞者としてふさわしいものと言えます。