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公益財団法人 NEC C&C財団

 

2022年度C&C賞受賞者

グループB

Dr.Charles H. Bennett

チャールズ H. ベネット 博士
Dr. Charles H. Bennett

IBMリサーチ IBMフェロー

Prof.Gilles Brassard

ジル ブラッサール 教授
Prof. Gilles Brassard

モントリオール大学 コンピュータサイエンス教授
キューソフト 量子ソフトウェアチューリングチェア


業績記

量子暗号の先駆的研究および量子情報理論の確立への貢献

業績説明

暗号技術は、情報の安全性を守るための基盤技術の一つです。しかし、電子商取引に用いられるものを含め、現在の暗号技術の多くは計算機的な安全性にとどまっています。特に、量子コンピュータが実用化されると、解読される心配があります。また、古典的なコンピュータであっても、新しいアルゴリズムが発見されると、このようなことが起こる可能性があります。盗聴者の存在を検知できないこと、現在は解読できないメッセージでも後に解読されてしまう可能性があることは、重大な弱点であり、将来のネットワーク社会では是正されることが望まれます。このため、ベネット博士とブラッサール教授によって発表された量子暗号は、情報の安全性が物理法則によって保証された暗号技術として注目されています。  

1968年から1970年にかけて、当時コロンビア大学の大学院生だったスティーブン・ウィズナー(2021年逝去)が、量子紙幣、量子多重化(後に紛失通信と呼ばれるものの量子的実装)、超高密度符号化など、量子情報の基礎となる概念をいくつか発見しました。彼は、これらのアイデアを出版しようとはしませんでしたが、手書きで回覧し、ベネット博士や後のブラッサール教授ら同僚と議論しました。同僚たちの働きかけにより、1968年のアイデアは1983年に、残りは1992年に、ベネット博士を共著者としてようやく出版されました。  

1979年に出会ったベネット博士とブラッサール教授の研究以前は、無条件に安全な秘密のメッセージの送信方法は「ワンタイムパッド」しかありませんでした。これは、送信したいメッセージと同じ長さの共有秘密鍵について事前にユーザーが(例えば、直接会うことによって)合意しておく必要があります。一度使用した鍵は、安全に再利用することができません。ベネット博士とブラッサール教授は、ウィズナーの「偽造できない量子紙幣」という概念を基に、量子暗号の最初の方式であり、現在最も広く用いられている量子鍵配送(QKD)を考案しました。BB84プロトコルは、盗聴される可能性のある量子チャネル(光ファイバや自由空間光路など)と妨害されない公開チャネルで通信する2人のユーザーが、秘密鍵に合意するか、盗聴が多く安全に合意できないと判断するかを決めるもので、BB84プロトコルはこの問題を解決するために開発されました。鍵の確立に成功すると、ユーザーはその鍵をワンタイムパッドとして使用し、無条件に安全な通信を行うことができます。盗聴者はプロトコルを中断させることはできても、ごくわずかな確率を除いて、ユーザーを騙して秘密でない鍵に合意させることはできません。この発見は、物理学(ベネット博士)とコンピュータサイエンス(ブラッサール教授)の融合によって実現されたもので、まさに学際的研究の一例といえます。 

1989年、ベネット博士とブラッサール教授は、彼らの学生であるBessette、Salvail、Smolinとともに、光軸のずれや検出器のノイズがあっても安全性を保つための新しい技術を取り入れ、BB84を初めて実用化しました。これは32センチメートルの距離で動作する原理実証に過ぎませんでしたが、21世紀になって量子暗号の到達距離は、光ファイバーで数百キロメートル、宇宙空間の衛星で数千キロメートルにまで拡大されました。  

量子暗号に加え、ベネット博士とブラッサール教授は、様々な共同研究者とともに、現在、量子情報学あるいは量子情報理論と呼ばれる科学の基礎を築きました。1993 年、Crépeau、Jozsa、Peres、および Wootters と共に、量子テレポーテーションを発見しました。量子テレポーテーションとは、量子エンタングルメント(注)を事前に共有した送信者と受信者が、古典的な通信路を使って量子情報を転送する手法です。エンタングルメントは、共有秘密鍵と類似と見なすことができます。どちらもそれ自体には通信能力はありませんが、共有秘密鍵は公開チャンネルを介した秘密通信を可能にし、共有エンタングルメントは古典チャンネルを介した量子通信を可能にします。エンタングルメント自体をテレポートすることもできるため、他の 2 つの当事者とエンタングルしている誰かが、古典的な通信路のみを使用して、それらの間にエンタングルメントを確立できます。エンタングルメント スワッピングとして知られるプロセスです。  

ベネット博士とブラッサール教授が1995年に発表したBernsteinとVaziraniとの共同論文は、量子コンピュータが一般的な探索問題を指数関数的に高速化することはできないという証拠を示しました。P=NP問題で予想外の進展がない限り、Groverのアルゴリズムによる平方的高速化が期待できる最善のものです。また、Shor、Popescuらとともに、量子通信や量子計算を助ける資源として、それ自身は通信能力を持たないにもかかわらず、エンタングルメントに関する定量的理論を打ち立てました。特に、エンタングルメントの蒸留を発見し、ノイズの多いエンタングルメントを大量に供給して、完璧に近いエンタングルメントを確立することを可能にしました。 

彼らは、時には、それぞれが他の共同研究者とともに、重要な発見をしています。例えば、ベネット博士とその共同研究者は、量子通信と古典通信がエンタングルメントの共有の存在下で等価であることを一般化し、量子逆シャノン定理を証明しました。この定理によれば、古典的容量がゼロではない全ての量子チャネルは、適切なエンタングルメント資源が存在すれば、互いに効率的に模擬することができます。ブラッサール教授は、共同研究者とともに、量子擬似テレパシーや量子テレポーテーションを実現する最初の理論回路などを発見しています。  

計算と通信という古典的な情報学は、チューリングとシャノンによって別々に開発されましたが、実際には、ほとんどの通信機器が計算を含み、その逆もまた真なりで、両者は密接に関係するようになりました。21世紀には、この2つは暗号技術によってさらに統合され、古典的な通信路を盗聴者のいる量子通信路として、古典的なコンピュータを各配線上に盗聴者のいる量子コンピュータとして、共通の量子基盤の上に再構築されるでしょう。 

ベネット博士とブラッサール教授が、量子暗号の発明と開発、および量子情報科学の分野の確立に果たした役割は大きく、C&C賞に相応しいと考えます。  

注) エンタングルメント (entanglement)
量子力学において、複数の粒子が存在するとき、それらの位置やスピンなどの値は個別にではなくセットで指定しなければならず、しかも複数のセットが同時に共存しているという現象。量子からみ合い、量子もつれともいう。今日の量子情報理論や量子コンピュータの基礎となる性質でもある。