2026年度C&C賞受賞者
Group A
香取 秀俊 博士 国立研究開発法人 理化学研究所 光量子工学研究センター 時空間エンジニアリング研究チーム チームディレクター |
業績記
光格子時計実現への貢献
業績説明
精密な時間計測は、情報通信ネットワーク、全球測位衛星システム(GNSS)、電子取引、科学計測など、現代の情報通信技術(ICT)社会を支える基盤技術です。現在の「秒」は、セシウム133原子が吸収・放出するマイクロ波の周波数を基準としたセシウム原子時計によって定義されています。 一方で、マイクロ波より約10万倍高い周波数をもつ原子の光学遷移を利用すれば、時間をより細かく分割できるため、時計の精度を大幅に向上できる可能性があります。 こうした背景から光原子時計の研究開発が進められてきました。 香取秀俊博士は、光格子時計の概念を提案し、それを実際に実現することで、従来の原子時計を大幅に上回る超高精度な時間標準を確立しました。 さらに、その成果を相対論的測地学や時空間センシングへ展開し、次世代情報通信、量子技術、精密測位などへの応用を切り拓きました。 従来の単一イオンを用いた光原子時計では、高精度化と短時間計測の両立が困難でした。 統計精度を高めるためには測定を繰り返す必要があり、絶対零度近くまで冷却した荷電原子1個を電極間に閉じ込め、多数回にわたって計測を行う必要がありました。 香取博士は、この制約を克服するため、2001年に光格子時計の概念を提案し、2003年には基礎実験に成功しました。 光格子時計では、対向するレーザー光の干渉によって形成される光の定在波が作る周期構造である光格子に、多数のストロンチウム原子を捕獲します。光格子は、原子の熱運動に起因するドップラー効果を抑制するとともに、多数の原子を同時に観測できる特徴を有しています。しかし、光原子時計には、原子を閉じ込めるレーザー光が時計遷移の周波数を変化させるという課題がありました。 香取博士は、基底状態と励起状態の電気分極率が等しくなる特定の波長、すなわち「魔法波長」で光格子を形成すれば、この影響を相殺できることを提案し、実証しました。さらに、この方式により多数の原子を同時に観測することで、量子雑音を低減する手法を確立しました。2015年には、光格子時計において10-18レベルの精度を達成した成果をNaturePhotonics誌で発表しました。 この精度は、従来のセシウム原子時計の10-15レベルの精度と比べて約3桁高く、100億年以上にわたって1秒程度しか狂わない水準に相当します。これらの成果によって、原子時計における高精度化と短時間計測の両立が実現され、世界各国で光格子時計の研究開発が進展する基盤が築かれました。光格子時計は、原子物理学・量子計測分野における新たな時間標準技術として確立されています。また、2006年には国際度量衡委員会(CIPM)がストロンチウム87原子の光学遷移を「秒」の二次表現の一つとして採用しており、ストロンチウム光格子時計は2030年頃を目途に国際的な検討が進められている「秒」の再定義に向けた有力候補の一つとなっています。 また香取博士は、光格子時計を単なる時間標準としてだけではなく、新しい計測技術へと発展させました。 一般相対性理論によれば、重力ポテンシャルが異なる場所では時計の進み方も異なります。 10-18レベルの精度を実現した光格子時計は、この極めて微小な差を検出することができます。香取博士らは、東京スカイツリーの地上階と高さ約450メートルの展望台に2台の光格子時計を設置し、時計の進み方を比較しました。 その結果、展望台の時計が地上の時計よりわずかに速く進むことを実証し、2020年に発表しました。 この成果は、時計の周波数差から高さや重力ポテンシャル差を測定する相対論的測地学の実用化に向けた重要な一歩を示すものでした。 また、光格子時計が高さや重力を測る高性能センサーとして利用できることを示し、地殻変動や火山活動などを監視する時空間センシングへの道を切り拓きました。 さらに香取博士は、光格子時計の社会実装に向けた研究開発を推進しました。香取博士の研究グループは、原子の時計遷移を分光する物理パッケージやレーザー制御システムを小型化・堅牢化し、東京スカイツリー実験で用いた約920リットルの装置を約250リットルへと縮小しました。 2025年には、これらの成果を基に島津製作所が世界初の商用光格子時計を製品化しました。さらに2026年には、国際度量衡局(BIPM)、理化学研究所、島津製作所が可搬型光周波数標準に関する調査・検討に向けた協力覚書を締結しました。これにより、光格子時計は時間標準としての利用だけでなく、情報通信、精密計測、測地学など幅広い分野で活用されるインフラとして、社会実装が進められています。香取博士の業績は、超高精度な光格子時計の原理提案と実証、光格子時計を用いた相対論的測地学および時空間センシングへの展開、さらに社会実装に向けた実用化にまで及びます。これは、精密な制御・測位・同期を支える情報通信技術に大きく貢献するものであり、高安定レーザー、フォトニクス、電子制御、真空・冷却技術などを高度に融合したC&C技術の実例と言えます。本業績は、C&C賞にふさわしい卓越した成果であると高く評価できます。

